企業文化と創業チーム

問題のある企業文化は創業起業家が原因?

最近話題になっているUberのセクシャルハラスメント問題。告発した女性のブログからも、一部の人間の暴挙というよりは、この問題の本質は企業文化にある(創業者兼CEOのTravisは否定していますが)と私は感じました。

 

問題のある企業文化を放置した責任を創業起業家にのみ負わせることは簡単ですが、彼らを罰したり追い出そうとするだけで良いのでしょうか。それでは同じ失敗を繰り返すことを防ぎようがありません。再現性のある形で悪しき企業文化を醸成してしまわない方法はないのでしょうか。

 

そもそも企業文化の正体は何で、いつ生まれるのでしょうか?

 

企業文化が生まれるとき

スタートアップにおいて最初の企業文化らしきものが生まれるのは、1人が2人になったとき、まさに創業チームが組成された瞬間です。どういった仲間を選ぶかによって企業文化(の萌芽)は規定されるのだと思います。

 

たとえば2名で立ち上げる法人(スタートアップ)で見た場合、創業者の2人の間で交わされるヴィジョンや事業についての言葉、それに裏打ちされた行動、結果の受容、それらのプロセスを経て醸成される価値観や場の雰囲気といったものが、企業文化の起源なのだと思います。そして社員が増え、組織が大きくなった場合においても、目に見えないウィルスのように社内に静かに浸透したものが”企業文化””カルチャー”として呼ばれるものの正体なのではないかと思います。

 

そして、ベンチャー企業の経営というものは事業の立ち上げ期に限らず、常に厳しく変化の激しい環境に晒されます。そのなかで法人という個体として生き残っていくためには、状況に応じて異物を跳ね除けたり受け入れたりすることができる柔軟かつ強健な体質(企業文化)が必要になります。

 

 

いわゆる純血種は身体が弱くなりがちというのは生物の世界の話ですが、法人においても、その意味では”似た者同士”の創業チームから始まるスタートアップの場合、企業文化が均質化しやすく、異なる価値観や変化に対して対応・受容する力が弱くなるとは考えられないでしょうか。

 

ゆえに、スタートアップの将来の企業文化を見通すにあたっては、企業文化が最初に生まれるとき、まだ2・3人の創業チームの組成において、異なるキャラクター・スキルを持つメンバーが集まっており、かつ1つのミッションの達成に向けてお互いのその個性の違いを心から受け入れているかどうか、が重要なのではないかと思います。

 

 

異なるキャラクターの組み合わせ

古くは”七人の侍”から”Suicide Squad”まで、1つのミッション達成に向けて異なるスキルを持つ異なるキャラクターが協力し合うというスタイルの映画に我々は魅了されてきました。各人のスキルを場面ごとに上手く活かしミッションを達成するストーリーが魅力的であり、組織の多様性が強みになるという意味ではスタートアップ企業においても同じではないかと思います。

 

ということを、直感的に理解はしているものの、ひとは自分と同意見の人間、同タイプの人間を周りに置きがちです。均質化は将来の腐敗につながるかもしれません。ゆえに敢えて創業チーム組成には、カリスマ、体育会系、ギーク、クール、天然、饒舌、無口、プロダクト志向、ヴィジョナリー、などできるだけ異質なキャラクター同士を1つのミッションのもとに意図的に集めるべきじゃないでしょうか。

 

その観点で私自身のポートフォリオや他のスタートアップについて振り返ってみたときに、1つのミッションのもとに異なるキャラクターが集まった創業チームによって立ち上げられた企業は、事業のスケールも組織の拡大も速く、良い企業文化ができつつあるように感じます(まだまだサンプルは少ないですが、チームとしての振れ幅を生み出し、懐を大きくするべく、両極端な個性の組み合わせが良いと思う)。

 

ということで、良いときも悪いときもスポットライトが集中しがちな創業起業家の資質だけを見るのではなく、創業チームを(個々の役割の合致度やスキル習熟度にくわえて)異なるキャラクターの組み合わせとして、引き続き見ていきたいと思います。

 

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